10月
17
2014
三栖閘門をAutodesk123DとBlenderでつくり、Unityにインポートしました。昔より、宇治川は氾濫を繰り返し、洪水の被害にあってきました。桃山時代には豊臣秀吉が伏見に城下町を築き、太閤堤の建設など宇治川の治水事業を行い、宇治川と濠川(ごうかわ)を結び河川港「伏見港」が造営され、以来江戸時代を通じて三十石船などが伏見と大坂の間を行き来しました。明治維新後は、琵琶湖疏水が開通し、大津から大阪までの新たな水運のルートが開拓され、宇治川には三十石船などに代わって蒸気船(外輪船)が運航されました。大正6年(1917)、宇治川のいわゆる大正洪水が発生、治水工事が急務となり、翌大正7年、淀川改修増補工事が始まりました。大正11年、宇治川右岸の観月橋から三栖までの築堤工事が行われました。この工事によって宇治川と宇治川派流(濠川)との間に水位差が生じ、船の通行ができなくなりました。そこで、治水施設を兼ねて、宇治川と濠川との合流点に閘門を設けることになりました。昭和4年(1929)3月31日、三栖閘門が、着工から約3年をかけて完成しました。(2014/09/24)
三栖閘門(実写)
三栖閘門(Blender)
三栖閘門(Unity)
By t-asami •
デザイン •